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どうなるんでしょう?

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 6月15日(金)13時59分58秒
返信・引用
   先日、朝日新聞マイタウン広島版で、広島県と福山市が鞆港の埋め立てを具体的に始めたとのこと。
 僕のN大のI先生は、鞆港埋め立て架橋に反対の立場でいます。昨年夏、訪れたばかりの鞆はどうなるんでしょう?
  先日も、関東のNHKの番組「スタジオパークからこんにちは」内、暮らしの中のニュース解説で、NHK解説委員の方も言ってました。
「朝鮮通信使ゆかりの街を、埋め立て架橋で壊すべきではない。」
 この言葉に、何か考えさせられましたが。
 
    (禰宜) おっきーさん、こんにちは。
今、鞆の浦はこの埋め立て架橋の話で大きく揺れています。
神社の立場(賛否両方とも氏子)からこの問題に口を挟むのは遠慮したいと思います。
ただ、何が、どうすることによって、この鞆の将来に良しとするのか、今回の話でもどういうメリットやデメリットがあるのか、住民はどうしたいのか、よく考えなくてはならないと思います。
不便より便利、景観が悪くなるよりいい方がいい、住む環境が少しでもよくなればいい、に決まってます。
この町は年々人口が減っています。若者が減り、それにより子どもも減っています。
神社の祭礼も将来維持できるかどうかわかりません。
今回の埋め立て架橋がベストなのかどうか私にもわかりません。
ただ若者が未来にわたって住むことができる町になってほしいと願うばかりです。
神功皇后様が大神様をお祀りになったこの町から人がいなくならないようにと。
 

茅の輪くぐりは

 投稿者:ファイト  投稿日:2007年 5月28日(月)21時22分12秒
返信・引用
   こんばんは、花火大会が過ぎると、茅の輪くぐりの季節ですが祇園社はいつになりますか。また材料の茅はどこから調達されるのですか。 先日、岡山へいく機会があり、偶然立ち寄った神社に茅の輪がありました。  
    (禰宜) ファイトさん、こんにちは。
お返事が遅くなり失礼いたしました<m(__)m>
今年の花火大会も多くの方がいらっしゃったようで・・・
さて茅の輪は水無月の大祓といって基本的には六月三十日に行われます。
当社も同日です。お社によっては七月に行われたり、別な日にされるところもあるようですが。
茅は近くの、とある場所で採取いたします。場所は年によって変りますので特定できません。
当社の茅の輪は直前に設置いたします。
 

能舞台

 投稿者:とーる  投稿日:2007年 4月11日(水)16時04分5秒
返信・引用
  こんにちは。
能舞台について調べており、最近沼名前神社の存在を知りました。知らないことだらけなのですが、一度能舞台を見てみたいと考えています。スケジュールを見てもよくわからなかったので、能舞台を使った催し物について知りたいです。どなたか分かる方がいれば教えてください。
 
    (禰宜) とーるさん、はじめまして、こんばんは。
当社の能舞台は平常切戸(雨戸)で囲っているため、中の様子が見えません。
舞台の様子を見るには催事の折がよいでしょう。
能舞台を使用する予定は、5月13日の午前、7月22日の午前が今のところ決まっています。
いずれも「謡い」が中心になると思います。また両日共奉納行事ですので無料です。
また秋(11月)には有料の舞台が開催される予定です。
 

鞆の浦

 投稿者:長歳が、ない  投稿日:2007年 3月 7日(水)18時23分27秒
返信・引用
  鞆の浦が大好きで、いろいろ知りたいのですが、誰も明確な答えが言えず、お聞きしたいのですが、なぜ江の浦が毎年お手火行事があるのですか?祗園町なら理解できるような、、、祗園町と、おぎょんさんという名前は、関係があるのですか?後地と鞆町鞆の違いは何かあるのですか?  
    (禰宜) こんばんわ。
当沼名前神社の祭典(夏祭・秋祭・お弓)は旧鞆町の七ヶ町が輪番で奉仕しています。
夏祭は先・中・後のグループに分けられ、先は江ノ浦元町・江ノ浦町、中は西町・道越町・関町、後は石井町・鍛治・祗園町・原町です。
お手火は三体の大手火をそれぞれ先・中・後の中で輪番で奉仕されるのですが、先はそもそも沼名前神社が江ノ浦元町に鎮座していた歴史もふまえ同町(江ノ浦元町及び江ノ浦町)が奉仕することになっています。
祗園町は沼名前神社が現在の場所に遷ってからの町名です。
鞆町鞆はそもそもの鞆の町で、後地は名の通り後からの地と御理解戴いてよろしいかと思います。
 

鞆の街

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 2月25日(日)09時24分50秒
返信・引用
   先日、長崎出島のオランダ商館長についていった、ケンペルとシーボルトの日記を見ました。鞆が、オランダと関わりがあったなんて、驚きです。彼らは江戸時代に中継貿易地であった鞆を賑わっていたとしています。
 彼らは、どんな思いでこの街を見たのでしょうか?想像するだけでわくわくする思いです。
 
    (禰宜) おっきーさん、おはようございます。
そうですね、かつての鞆は港を中心に賑やかだったようですね。
船が交通手段の主軸でしたし、潮待ち港といわれるように、瀬戸内の真ん中あたりの港でしたから、いろんな方が鞆を訪れたと思います。
今や時代は車。なかなか当時のような賑やかさは・・・
 

お尋ね

 投稿者:べんてん  投稿日:2007年 2月17日(土)14時15分48秒
返信・引用
  はじめまして。
京都生まれであちこちの地域の祇園祭を研究しています。
掲示板、楽しく拝見いたしました。
こちらの祇園さんのお祭りはお清めのお水(あるいは汐井)はお取りになりますか?
それから、新市町戸手の疫隈さんとはどのような関係でしょうか?
ご教示いただけると幸いです。

http://indranet.jp

 
    (禰宜) べんてん様、はじめまして。
この鞆にも弁天様を祀る弁天島というのがあります。
鞆を紹介する写真にもよく使用されています。ですから“べんてんさん”と言うと親しみを感じてしまいます。(^^)
さてお尋ねの「お清めの水」ですが、当社には「祗園の幸水」と呼ばれている山水がありますが、これを祭典に使用することはまったくありません。
またこれ以外でも水を使用することはありません。
ただ「お手火神事」「お弓神事」等で当番町にあたる氏子青年が清めの一環で海水を浴びる(いわば禊)ことはあるようです(当番町によってまちまち)。
それから戸手の素盞鳴神社との関係ですが、当社の祗園さんのそもそものご鎮座に関わる起源等が不明なため、わかりません。現在も特に関係はありません。
悪しからずご了承のほど願います。
ご祭神の大綿津見命に関わる由緒は伝わっておりますが須佐之男命に関わることは殆どありません。
歴史的資料がなく残念なところです。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2007年 1月 8日(月)13時05分34秒
返信・引用
  厄除けの、御祓いは、いつからいつまでに済ますのですか。?  
    (禰宜) こんにちは。

厄除けのお祓いですね。
旧暦とか節分とかで考える地域や人もいらっしゃるでしょうが、最近は年頭に受けられるのが一般的ではないでしょうか。
新しい年を迎え、厄年となるその一年の厄除け・息災を祈るのですから、できれば節分前後までにお祓いを受けられるのがよろしいと思います。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2007年 1月 4日(木)08時46分29秒
返信・引用
  19年度の厄年表の、後厄の年号の間違いですか?私昭和40年生まれでの後厄のはずですが?  
    (禰宜) 元鞆人さん、おめでとうございます。
ありがとうございます。間違いでした。<m(__)m>
早速訂正しておきました。
 

(無題)

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 1月 1日(月)13時49分52秒
返信・引用
   以前の投稿の追加ですが、鞆祇園宮から広峯神社への遷座は薄いですが、逆に広峯神社からもたらされた可能性も否定できません。なぜなら、姫路市からの回答において神功皇后が広峯神社を創建した説があるそうです。彼女は、福井県敦賀市の気比神宮から朝鮮出兵をしています。その中で、現在の兵庫県高砂市から船を出し、鞆の浦に寄港の後三原市経由で九州方面に向かっていたそうです。
 渡守社は神功皇后の創建とされているため、その点では広峯神社→沼名前神社との関わりが考えられます。福山市市街地で福塩線の方に素箋嗚尊神社がありますが、そちらでは備後から素箋嗚尊が播磨広峯神社にもたらされているそうですが、吉備真備公の足跡がはっきりしないため前の通り確証はありません。ただ、その年に彼は遣唐使から帰っているため、その可能性はあるかもしれません。遣唐使の帰朝のルートを調べてみると、唐から日本までの東シナ海上では複数あったようですが、それ以降はやはり鞆や姫路付近を通過して奈良に至っています。彼が帰朝の中途に何かをしたのかもしれません。
 
    (禰宜) おっきーさん、明けましておめでとうございます。
ありがとうございます。
また何か分かりましたら教えて下さい。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年12月31日(日)20時53分36秒
返信・引用
  またまたお聞きします。今年女房の母が他界しました。前にも言いましたが。
初日の出は、拝みに行っても良いですか?
 
    (禰宜) 元鞆人さん、こんばんは。
もう明日の朝の話ですね(笑)
前にも申し上げた通り神事は慎んだほうがよろしいですね。
初日の出も信仰上だと神事とも言えますが、そこまで厳格にしなくてもよろしいかと思いますよ。
 

祇園

 投稿者:おっきー  投稿日:2006年12月24日(日)10時10分43秒
返信・引用
  お久しぶりです。あれから、祇園の由緒を調べましたが、必ずしも沼名前が八坂神社の発祥とは言い切れない感じです。兵庫県姫路市の広峯神社は、八坂神社の発祥と言われますが、広峯神社と鞆祇園宮がどうしても結び付かないためです。
姫路市に問い合わせた所、スサノオが鞆から移った可能性は極めて低いとのこと。広峯・八坂神社サイドは、それを認めたくないようです。
 
    (禰宜) おっきーさん、こんにちは。
祗園様の足跡はなかなか難しいようです。
私も勉強不足でよく存じませんが、広峯さんに鞆から遷られたというような文書があると聞いたことがあります。
確かめてはいませんが・・・
ご分霊のお社とかですと因果関係はわかるのですが、各地で夫々の信仰形態があって祀られたお社はその点が難しいのではと思います。
ですから、ご分霊社でなければ、どこが本社かなどということは、まず言わないでしょう。
もちろん、鞆の祗園様もどのような形でいつ創建されたかも不詳で、どこかから遷されのかということもわかりません。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年12月24日(日)09時24分37秒
返信・引用
  お久しぶりです。ちょっとお聞きします。今年女房の母が他界しました。正月のしめなわは、出来ないのでしょうか?鏡餅を出来ないのでしょうか?  
    (禰宜) 元鞆人さん、こんにちは。
さて、喪中の場合の正月ですね。
結論から申し上げますと、喪中の時は正月の注連飾りや参拝はしません。
元鞆人さんの場合は奥様のお母様ですから尚更ですね。
例えば血縁の遠い親戚の場合などは一定の期間を過ぎれば問題はありません。
喪が明けて(約一年)から改めて参拝されるとよろしいかと存じます。
 

鞆とスサノオ

 投稿者:おっきー  投稿日:2006年11月21日(火)22時14分27秒
返信・引用
   初めまして。今、鞆の社寺を色々調査しているのですが、その中で沼名前神社が全国に祀られているスサノオの命を祀られているということで、大変興味を覚えました。
今まで、神道はあまり身近に感じられなかったのですが、突き詰めて考えるほど面白いものだと思います。さて、沼名前神社は「鞆の祇園さん」と呼ばれているそうですが、広辞苑で引いてみると「祇園」と言う言葉には、スサノオの命とその妃,子供たちまで指す言葉だと言うことが見えてきました。
 「祇園」と言えば、普通の人は京都東山区の八坂神社界隈のことを指すと考えていると思います。しかしながら、その事実から発祥の地であることが埋もれてしまっているように感じられます。もう少し、神道について詳しく調べてみたいと思っております。
 また、あくまでインターネット百科事典の記述と、広辞苑からの発見なのですが、少なくとも沼名前神社の一部であった渡守社が少なくとも920年ごろにはあったものと推測されます。(延喜式神名帳にあったと言うので、延喜式神名帳はそのころの成立とされるため)千葉県在住なので、東京の国立図書館で、何か資料があれば活用したいと思っております。
 
    (禰宜) おっきーさんへ
はじめまして。投稿有難うございます。
神話とか信仰とか深く探るとなかなか興味深いものがありますね。
さて、当社のご由緒については、HPに記載してますが、仲哀天皇の二年(193年)にお祀りされたのが起源とされています。
この最初にお祀りされたのが「渡守社」であります。後に「沼名前神社」と称されるわけですが、その時代は定かではありません。(延喜式神名帳では沼名前神社)
よって渡守社つまり沼名前神社は1800年以上の歴史があることになります。
また祇園さんはそもそも別のお社でしたが、明治九年に大綿津見命(渡守神)を合祀して相殿の神として奉斎されています。
残念ながらこの祗園さんの起源等はよくわかっておりません。
私自身、勉強不足ですので、何か史料とかあればまた教えて下さい。
 

ご無沙汰しています。

 投稿者:本田亭裕人  投稿日:2006年10月 9日(月)17時43分40秒
返信・引用
  大変良いホームページですね。父と一緒に拝見させて頂きました。
一度、両親と、姉の家族と、私の家族全員でお伺いしたいと思っています。
私のホームページも頑張って充実させていきます!

では、朝晩寒くなってきましたので、お身体を大切に。  〜ひろと〜
 
    (禰宜) 裕人君ご無沙汰です。
過般は上のお店に突然伺わせて戴き久しぶりに楽しいひと時を過ごさせていただきました。
HPもよく拝見させて戴いてます。なかなか頑張ってられるようで・・
是非こちらにも足を運んでください。お待ちしています。
それから、私個人のアドレスにもメール下さいね。
機会があればそちらのお店にも伺いたいと思います。
投稿有難うございました。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年 9月18日(月)09時56分5秒
返信・引用
  お久ぶりです。またまたお聞きしたい事があります。近所のお寺で天照大神の札と、そこのおてらのふだを貰いました。家の神棚にまとめてお祭すればいいのですか?。そこには、ぬなくま神社のお札を祭ってます。  
    (禰宜) 元鞆人さん、おはようございます。

お寺?で天照大御神のお札ですか?神社でなく?
神社での御神札でしたら、どこの御社の御神札でも当社の御神札と一緒にお祀りしてもかまいませんよ。
ただお寺さんの御札とは一緒にしない方がいいですね。
 

祇園の本家は?

 投稿者:ファイト  投稿日:2006年 9月 4日(月)21時36分29秒
返信・引用
   今度京都を散策します。八坂神社にも寄りますが、当社は明治までは祇園社と称していたとか。その祇園の発祥は、新市町の祇園社と聞いたことがあります。疱瘡神社が摂社であるのも疫病に益がある茅の輪と関連がありそうです。また一説には、甲奴の小童の祇園社は、平安時代に小童の荘園領主だった藤原氏が京都に勧請したともいいます。いずれにしても、祇園は備後が発祥地と思いますが、なぜ京の八坂神社が本家と言われるのか分かりません。  
    (禰宜) ファイトさん、おはようございます。

八坂神社は本家とは言われていないと思います。よく言われるのは本社です。
これは八坂神社から各地に分社・分祀されたお社が多いためでしょう。
また京の都にあって大社であるためではないかと・・・
祗園の発祥となると少し難しくなります。
ファイトさんの仰る備後の三祗園といわれる三社の神は、歴史的にみて備後風土記に記載されている「武塔神」と「素佐之男命」が習合したものと考えられます。
一方、八坂神社は「牛頭天王」と「素佐之男命」が習合したものと考えられます。
神社のご鎮座は備後三社より八坂神社の方が後になります。
当社には祗園宮の歴史的史料がないため、詳細はわかりません。
八幡さんとかお稲荷さんとかのように本社から分祀・分霊されたのが明確であれば分かり易いんですが・・・
いずれにしても祗園さん、素佐之男命のご神徳が広大であったことが偲ばれるのではないでしょうか。
 

沼名前神社・京都八坂神社

 投稿者:佐藤  投稿日:2006年 7月29日(土)18時09分37秒
返信・引用
  先日は、神能祭で翁面と千歳面を拝見させて頂き有難うございました。話しは変わりますが、茅の輪くぐりの日に少し遅れて参拝し、全て拝見出来ませんでしたが、由来について少し調べさせて頂きました。福山志料に備後国風土記が記載されていて、この風土記は和銅6年(713年)中央管命により作成された報告公文書であると。沼名前神社は疫隅神社として書かれていて、須佐之男命を祀り、その後姫路の広峰神社として分霊、さらにそこから貞観18年(876年)京都八坂神社に移されたと。鞆の祇園さんは全国の祇園さんの発祥の地になるのですね。沼名前神社の歴史の深さを再認識しました。又、重要文化財・石造物・祭事等が現在も受継がれていることに改めて備後の住民として感謝しております。  

非科学的??

 投稿者:通りすがり  投稿日:2006年 7月27日(木)11時27分36秒
返信・引用
  > どうしてそんなにかたくなな歴史観(非科学的)なのですか? 神主さん達は

面白いですね。
万物に神が宿り、人智の及ばぬ力は神々の業と考えてきたのが、神道ともいえると思います。
その神道を守り伝えるのが神主さんの仕事では?

ところで、神々の存在は科学的なものでしょうか?
ならば「神主=非科学的」であっても、何ら問題ないのでは??
 

(無題)

 投稿者:kiroro  投稿日:2006年 7月20日(木)11時57分31秒
返信・引用
  どうしてそんなにかたくなな歴史観(非科学的)なのですか? 神主さん達は  
    (禰宜) Kiroroさんとやらへ

何を仰りたいんでしょう?
かたくなな歴史観?非科学的?
さっぱり意味がわかりません。
いたずらですか?
掲示板は純粋にご利用下さい。
 

お礼

 投稿者:M.N  投稿日:2006年 7月10日(月)18時14分59秒
返信・引用
  早速ご丁寧に、ご返事頂き有難うございました。
勇壮な火の祭典「鞆のお手火神事」〜また参拝させていただきます。
 

はじめまして・・・

 投稿者:M.N  投稿日:2006年 7月 9日(日)18時08分43秒
返信・引用
  昨日の「お手火祭り」〜燃え盛る「たいまつの炎」、火の粉が舞う幻想的な雰囲気の中、家内安全など・・祈願させていただきました。
日本には多くの火祭りがあるようですが、始まる前に、「日本三大火祭り」の1つとの放送がありましたが、あとの2つは何処でしょうか。よろしくお願いします。
 
    (禰宜) M.Nさん、こんにちは。

お返事が遅くなり、申し訳ございません。
一昨日の「お手火神事」に続き、昨日は神輿渡御祭があり、本日は広島に出張していましたので遅くなりました<m(__)m>。
さて三大火祭りと申しますが、この「三大」というのは誰が決めたものではなく、いわゆる世間一般でいう三本指に入るくらいの、という意味合いとお考え下さい。
その上で申し上げますと、「那智の火祭り」(和歌山・熊野那智大社)、「鞍馬の火祭り」(京都・由岐神社)、そして「鞆のお手火神事」を三大火祭りと言っております。
もちろん、この他にも沢山火祭りがあって、ウチのが三大火祭りだといわれるところもあるでしょう(笑)。
いずれにしても西日本では大きな有名な火祭りがないこともあり、三大に加えて戴いても、遜色のない祭りではないでしょうか。
 

はじめまして

 投稿者:う゛ぇんけい  投稿日:2006年 4月20日(木)23時17分0秒
返信・引用
  こんばんは、、初めてこのページを見ましたヨ。
僕は隣町の住人です。
しかし、改めて見ると  僕を祀ってあるんですねぇ^^、、、。
って 僕も時々 素戔嗚尊’須佐之男命を演じることがあるからなんです。親近感がありますね。
それに、、大好きなお手火も! 実は、一度参加しました。西町の一員として・・・
祭って・・・見るのもいいけど、参加するってのは もっといいですね。
 
    (禰宜) う゛ぇんけい さん おはようございます。

隣町というと田尻ですか水呑ですかそれとも沼隈でしょうか?
−僕を祀ってあるんですね−
この言葉はいただけません。貴方をお祀りしているのではありません。もちろん冗談でしょうが。ちょっと失礼に思います。
「演じる」ということは何か舞台とかお芝居をされているのでしょうか?
スサノオはよく舞台等でも演じられます。ある意味親しみのもてる神様ということでしょうか。
仰るように祭りは見るのも参加するのもいいものです。
しかし、当町では氏子の高齢化・減少化で奉仕戴ける人の確保も大変です。
それでも、氏子だけで頑張って祭りを続けています。そんな裏の面もあることを知って見て戴くとまた違う感動もありますよ。
 

海上安全祈願

 投稿者:藤田明良  投稿日:2006年 3月23日(木)14時01分32秒
返信・引用
  私は現在、北前船などの航海信仰に関心があります。
沼名前神社は船玉大神が祀られており、北前船関係者の信仰もあつかったということですが、海上安全祈願の御札などは出しているのでしょうか。
 
    (禰宜) 藤田様、はじめまして。

当社は大綿津見命をお祀りしています。渡守大神、船玉(霊)大神とも呼ばれています。
さて海上安全祈願の御札ということですが、もちろん海上安全・大漁満足等の御神徳から授与いたしております。
社頭では家内安全とは別に海上安全・大漁満足と記された大麻札(一般的な御神札で神棚に入る大きさ)を授与していますし、木札は祈祷神札として海上安全の祈祷者に授与いたしております。
現在はほとんどが漁師さんです。
人や物の輸送手段が随分と変ってきましたので、海上安全より交通安全(車)の方が多いようです。
 

馬って。。。

 投稿者:さっちゃん  投稿日:2006年 3月 2日(木)19時06分49秒
返信・引用
  こんにちは!私は鞆生まれの鞆育ちです。百日も七五三も祇園さんでお世話になりました。今は結婚して市内に住んでいます。以前から思っていたのですが、境内にたくさんいる?馬は何なのでしょうか?今でも年に数回お参りするのですが、とても気になります。教えて下い。  
    (禰宜) さっちゃんさん、こんばんは。

さて、絵馬はご存知ですよね?
古来、馬は神様の乗り物として神聖視されていました。
そして神馬といって生きた馬を奉納する習わしのようなものがありました。
それが時代の移り変りと共に木馬や絵馬となっていったのです。
今でも絵馬に願い事をこめて奉納しますよね。(但し絵柄は干支等に変ってますが)
当社には随身門下の神馬舎や八幡さん、お渡守さんに木馬があります。
お判り戴けましたでしょうか?
 

お札について

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年 2月26日(日)16時41分43秒
返信・引用
  お返事有難う御座いました。またまたお伺いいたします。
厄払いで貰った木箱ですが、蓋を開けて中身が見える状態でお祭りするのですか?
どういう状態が一番良いのですか?
 
    (禰宜) 元鞆人さん、何度でもかまいませんよ(^_^)

木箱札ですが、そのままお祀り下さい。
各家の神棚の大きさにもよりますが、お社に入らない場合はお社の横に立てかけてお祀り下さい。
当社のお神札は大麻(一般的ないわゆる御札)以外、お社に入らないものが多いですから(~_~;)
 

お札について

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年 2月26日(日)14時11分28秒
返信・引用
  家の中の神棚に祭ってある御札(七五三、百日、厄払い等)があり、神棚が一杯になりました、いつでもいいから、ぬなくま神社に持って行けばいいですか?  
    (禰宜) 元鞆人さん、こんにちは。

元とつくからには、今は鞆にお住まいでないということですね。
さてお札の件ですが、古いお札はいつお納めになってもかまいません。本殿前に古札納め箱を用意していますので、そちらにお返し下さい。
ただ、お札のなかで今年あるいは、この一年以内に受けられたものはそのままお祀り下さいね。
 

近県弓道大会

 投稿者:みき  投稿日:2006年 1月23日(月)23時32分10秒
返信・引用 編集済
  ポスターで弓道大会の所に線が引いてあったんですけど今年も無いんですか?
あまり見る機会がないんで楽しみにしいていたんですが
 
    (禰宜) みきさん、おはようございます。
ポスターご覧戴いたようで。
そうなんです。お弓神事協賛行事の近県弓道大会は今年も中止となりました。
この大会は当社のお弓神事に協賛して開催されていたものですが、昨年は台風で手水舎が倒壊しその復旧工事等のために中止になったのですが、今年は弓道大会を主催されている鞆弓友会のご都合で中止に至りました。
来年以降もどうなるか、今のところ未定です。
せっかく定着して多くの方が当社にお運び戴いていましたのに残念です。
でもお弓神事は例年通り斎行いたしますので、是非お越し下さい。
 

知ってますか?

 投稿者:うらら  投稿日:2006年 1月22日(日)19時29分31秒
返信・引用
  テレビアニメの「サザエさん」のオープニングアニメに、「対潮楼」と港の「常夜灯」がでてるんです。
鞆を知ってる人間としてはうれしい限りです。
みなさんもぜひ見てみてください!
 
    (禰宜) うららさん、こんばんは。
私も見ました(^^)v。子どもが見るもんですから(~_~;)
前回広島県に入ってたので、鞆もでるかなと期待してました。
残念ながら当社に関わるものはありませんでしたが(>_<)。
ところで、うららさんはいつも日記を見てくれている人ですよね?
ありがとうございます。
不充分な拙い日記ですが、今後ともよろしくお願い申し上げます<m(__)m>。
 

今年もよろしく

 投稿者:禰宜  投稿日:2006年 1月 7日(土)15時45分22秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。(ちょっと遅いかな)
本年も宜しくお願い申し上げます。
割と天気の良かった三が日でした。
初詣にお越し戴けましたでしょうか?今日から三連休ですか、まだお越しでない方、是非お参りに。
破魔矢の白は終了。一刀彫も残り僅かとなりました。
 

はじめまして

 投稿者:花咲  投稿日:2005年11月25日(金)20時19分13秒
返信・引用
  ぼうっとホームページをみていて、このページにあたりました。鞆の町も行った事がないので、行ってみたいなあと思いながらみていました。素敵な能舞台がありますが、ここで、舞台をされたりしているのでしょうか?  
    (禰宜) 花咲さん、はじめまして。
鞆にも是非一度お越し下さい。時間をかけてゆっくりと散策されたら良いかと思います。(^^)
さて能舞台ですが、なかなか本物の能を上演する機会はありません。
例年ですと一月に喜多流大島家が、七月は夏祭りで神能祭がありますが、いずれも謡いのみです。
過般はその喜多流大島家による、「ええじゃん広島県」の観光キャンペーンの一環で、「高砂」とか「羽衣」などが上演されました。
秀吉公縁の能舞台ですが、野外なので建物の保存も大変です。
実物も是非ご覧下さい。
 

以上は、新着順31番目から60番目までの記事です。 1  2  3  |  《前のページ |  次のページ》 
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