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Re: 厄払い

 投稿者:元鞆人  投稿日:2008年 1月 6日(日)10時51分45秒
返信・引用
  > No.60[元記事へ]

元鞆人さんへのお返事です。

> あけましておめでとうございます。
> 毎年初詣にいかさせてもらっています。
> 今年は前厄にあたるので厄払いさせてもらいました、どうも、ありがとうございます。
> 気分的にすっきりいたしました。
> 我が家には神棚がなかったのですが、この機会に神棚を作りたいと思います。
> 神棚を作るにあたって気をつけなければならない事ってありますか?

回答ありがとうございます。
神社にお参りすると気持ちがすっきりして、すがすがしい気持ちになります。
神棚を作って家でもお参りいたします。

今住んでいる町内で頂く八幡神社のお札と一緒におまつりしてもよいものなのですか?
すみません質問ばかりで
 
    (禰宜) 元鞆人さん
お札の祀り方は、横に並べる場合は真中にお伊勢さんの御神札、右に氏神さんの御神札、左に崇敬神社の順です。
重ねてお祀りする場合は、手前からお伊勢さん、氏神さん、崇敬神社の順です。
崇敬神社の御神札は何社か一緒になっても構いません。
ついでに、お供え物は最低でも米・塩・水をできれば毎日、無理なら何日かごとに取り替えて下さい。
 
 

厄払い

 投稿者:元鞆人  投稿日:2008年 1月 5日(土)22時41分46秒
返信・引用
  あけましておめでとうございます。
毎年初詣にいかさせてもらっています。
今年は前厄にあたるので厄払いさせてもらいました、どうも、ありがとうございます。
気分的にすっきりいたしました。
我が家には神棚がなかったのですが、この機会に神棚を作りたいと思います。
神棚を作るにあたって気をつけなければならない事ってありますか?
 
    (禰宜) 元鞆人さん、明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて神棚をつくられるとか・・
神棚は御神札つまり神様をお祀りするものですから、まずは清浄に心がけましょう。
そして向きは南あるいは東向き(自分が北か西に向く)の目より高い、皆さんがよく集まる場所(居間など)にお祀りするのが良いでしょう。
ご不明な点はご遠慮なくお聞きください。
 

謹賀新年

 投稿者:禰宜  投稿日:2008年 1月 1日(火)05時08分19秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
平成二十年元旦
 

少し早いですが

 投稿者:新人世話人  投稿日:2007年12月 5日(水)22時35分46秒
返信・引用
  少し早いですが、今年は、身内の不幸もあり喪服を着る機会が多かったように思います。また自身も体調を崩し入院するなど、それと12月は毎週のように法事が重なり大変な1年になります。(なりました)来年は年男(4回目?)なので、何とか良い年にしたいと思っております。個人的には毎年のことなのでお参りしたいと思っておりますが、、しない方が良いのでしょうか。
当分、帰省してませんが、今年の祇園さんの紅葉はどうでしたでしょうか?
 
    (禰宜) 新人世話人さん、おはようございます。
大変な一年になりましたね。
来る新年は良い年になりますよう、お祈り申し上げます。
さて、喪中の初詣ということでしょうか?
厳格にいえば一年間は喪に服することになるのでしょうが、一般的には仏教でいうところの四十九日、神社でいえば五十日を過ぎれば参拝は構いません。
もちろん血縁の濃さによっても違いますが・・・
今年は秋の短い年でしたね。
紅葉も遅く短く、あっという間だったような気がします。
来年は年男だそうで・・・年男も大厄ではありませんが、厄年でもありますので節分あたりまでに厄払いをされたほうがいいでしょう。
 

お久しぶりです

 投稿者:新人世話人  投稿日:2007年11月11日(日)20時05分37秒
返信・引用
  近況報告ですが、体調崩してウイルス性急性肺炎で2W入院してました。変なウイルスが蔓延してますので、皆さん気を付けて下さい。先日出張で岐阜県高山へ行って来ました。高山には歴史深い祭りがあり神社の脇に屋台会館というチョウサイ倉があり何体かの山車が飾ってありました。見事なものでした。でも我々、沼名前神社のお祭りも十分誇れるものだと思いました。  
    (禰宜) 新人世話人さん、おはようございます。
入院されてたとのこと、くれぐれもご自愛下さい。
高山はいい所ですね。何度か行きました。世話人さんが見て来られた屋台会館のある神社は桜山八幡宮ですね。
高山祭は春と秋があって、桜山八幡宮は秋の祭りです。十数基の山車が出てそれは賑やかな祭りです。山車にはからくり人形も備え付けられてそれを見に行かれる方も多いようです。
鞆のチョウサイのような布団神輿は瀬戸内沿岸に点在しています。呼び方もチョウサイとかチョウサとか色々のようです。
他の地域の山車や祭りを見るのも参考になりますね。
 

こんにちは

 投稿者:平井メール  投稿日:2007年10月19日(金)13時53分27秒
返信・引用
  こんにちは!…西町の平井です。
こちらこそありがとうございます。
皆様のご協力により今回の大祭りは、西町らしくないと言われるくらいの盛り上がりで終わることが出来ました。
本当にありがとうございます。
でもこういう喜びも沼名前神社あってのことと非常に感謝いたしております。
今後は祭事の方でもお世話になると思いますのでよろしくお願いいたします!
 

お礼

 投稿者:禰宜  投稿日:2007年10月17日(水)11時38分33秒
返信・引用
  すっかり秋らしくなってきましたが、皆さんお変わりないですか?
さて、本日祭事運営委員の西町の平井さんから、今年の秋祭の写真データを頂戴いたしました。
いずれHPの写真館にでもアップしたいと思います。
平井さん、有難うございましたm(__)m
 

朝鮮通信使ゆかりの街、鞆

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年10月 5日(金)19時51分25秒
返信・引用
   お久しぶりです。秋も徐々に深まって来ましたが、いかがですか?鞆は昨年夏行きましたが、福山城付近と同じ福山市とは思えない程、のどかでいいところですね。
 埋め立て架橋の話は、遠く千葉からインターネットで見守るしかありませんが、朝鮮通信使ゆかりの鞆の街がより賑わうといいですね。仙酔島への市営渡船乗り場近くの福禅寺から、見渡した鞆と仙酔島、瀬戸内の風景が目に残ってます。
 
    (禰宜) おっきーさんへ
朝晩はすっかり秋らしくなりましたが、お変わりございませんか?
鞆は秋祭以外は本当に静かな町です(笑)。
連休になると観光の方が随分いらっしゃるようです。
ようです、というのも神社まで足を伸ばして下さる方は割と少ないからです。
観光の町といっても、住むにはわりと不便で若者は外へ出てどんどん過疎が進んでいます。
老若男女に関わらず住みやすい町になればいいのですけど・・・
おっきーさんもまた機会があれば鞆にお越しください。
 

西町兆歳?

 投稿者:新人世話人  投稿日:2007年10月 4日(木)23時07分20秒
返信・引用
  朝晩は涼しくなりましたが、日中は未だ暑いですね。今年はどうなっているのでしょうか。
先般の鞆秋祭りをネットで見ましたので紹介します。
http://youtube.com/results?search_query=%E6%B8%A1%E5%AE%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE&search=Search
でも、雨で残念でしたね。

http://youtube.com/results?search_query=%E6%B8%A1%E5%AE%88%E7%A5%9E%E7%A4%BE&search=Search

 
    (禰宜) (新人)世話人さま
おはようございます。

youtubeの画像紹介ありがとうございました。
昨年の江ノ浦のは見ましたが今年のはまだでした。
どなたが撮られているのでしょうか?当社には映像とか写真がほとんどありません(どのお祭りも)。
データでくだされば有難いのですが・・・
 

秋祭りの度に思うこと。

 投稿者:新人世話人  投稿日:2007年 9月17日(月)18時32分38秒
返信・引用
  祭りの度に疑問に思うことがあります。渡守の神輿の渡御~還御際で天狗のような面とかなり歴史がある太鼓を使ってますが、あの天狗のような面は何を意味するものでしょうか。
また太鼓はどの時代のものなのでしょうか。要害でのご祈祷は上まで上がらず何故、鳥居前なのですか。還御の際は何故随時門をくぐらないのか。以上、素朴な疑問で申し訳ありませんが、元鞆人という事で諸先輩方に聞くに聞けないのでどうか、ご教示お願いします。
 
    (禰宜) 新人世話人様、おはようございます。
秋祭色々とお世話になりました。ありがとうございました。
さて、ご質問の件ですが、
まず「天狗のような面」は当地では“ていのこ”と呼んでいますが、猿田彦の神様です。猿田彦は道案内・先祓いの役を担っておられます。つまりお神輿が町内を回る際には必ずこの猿田彦様が先頭に来るわけです。
次に「歴史がある太鼓」ですが、別に意味はありません(笑)。単に所有の太鼓が古かったというだけのことで、深い意味はありません。
「要害でのご祈祷~」については、今回の渡御は渡守神社の神様の祭儀で、祗園様の祭儀ではありません。ご承知の通り要害は夏祭り(祇園様)のお旅所です。つまり祗園様に敬意を表して、鳥居前で一旦お休み所の祭儀をするわけです。
「何故随身門をくぐらないのか」は、よくわかりません(笑<m(__)m>)。が、上記と同様で、随身門はそもそも祗園様の参道の門であったこともあり、遠慮してくぐらない、のではないかと推察します(あくまで推察です)。
素朴な疑問とおっしゃいますが、こういった事が祭りを進める上で重要なことと思います。お年寄りや先輩に聞いて後世に継いでいくことが大切でしょう。
 

(無題)

 投稿者:げんたろう7  投稿日:2007年 9月17日(月)17時49分34秒
返信・引用
  蒸し暑く雨の降るなか、3日間の秋祭りご苦労様でした。特に最終日の還御祭は大変だったですね。当番町の方も7年に一度の大祭なのに、あいにくのお天気で可哀相でした。
今日の天気と変わっていれば良かったと思います。しかし何はともあれ関係者の方々、無事終了お疲れ様でした。
 
    (禰宜) げんたろう7様、おはようございます。
渡守神社大祭お疲れ様でした。お蔭様で無事終了できました。
この時期は雨に降られることが多いのですが、今回の還御は大変でしたね。
またちょうさいも雨の中で大変だったと思います。当番町の西町の皆さん本当にお疲れ様でした。
鞆の祭りは当番町のみならず、祭運の皆さん、氏子の皆さんの協力なしには斎行できません。
今後とも皆さんの絶大なるご協力をお願い申し上げます。
ありがとうございました。
 

調べてたら。

 投稿者:ミックメール  投稿日:2007年 8月21日(火)19時58分50秒
返信・引用
  架空的な、荒らしの神スサノオさんと、実在的な、海軍の神ワダツミさんが同時に、祭られてるのが、面白いです。どちらも武力の神。
京都にも、両方の系列の別々の有名な神社が有るのですが。
更に、架空的な、建雷命との関係。全部、武力の神。
ワダツミ族=安曇族を追っています。
 

ご苦労様でした。

 投稿者:げんたろう7  投稿日:2007年 7月16日(月)22時34分49秒
返信・引用
  先日は台風の強風のなか、氏参りのご祈祷ご苦労様でした。またお手火神事~渡御~還御までご足労戴き有難う御座いました。氏子として大変感謝いたしております。
今度は御渡しさんの例祭でお目にかかる日を楽しみにしております。
*でも、還御祭が思ったよりも早く終わったので残念でしたね。(*^_^*)
 
    (禰宜) げんたろう7さん、おはようございます。

お蔭様でお手火をはじめ、渡御・還御と無事斎了できました。
皆様のご協力に厚く御礼申し上げます。
特に関町の皆さんには台風接近により、ご心配の中氏詣大変ご苦労様でした。
また昨夕の神輿納も雨の中、祭運の皆様にはお疲れのことと存じます。
今後とも皆様のご協力のほど、よろしくお願い申し上げます。
 

どうなるんでしょう?

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 6月15日(金)13時59分58秒
返信・引用
   先日、朝日新聞マイタウン広島版で、広島県と福山市が鞆港の埋め立てを具体的に始めたとのこと。
 僕のN大のI先生は、鞆港埋め立て架橋に反対の立場でいます。昨年夏、訪れたばかりの鞆はどうなるんでしょう?
  先日も、関東のNHKの番組「スタジオパークからこんにちは」内、暮らしの中のニュース解説で、NHK解説委員の方も言ってました。
「朝鮮通信使ゆかりの街を、埋め立て架橋で壊すべきではない。」
 この言葉に、何か考えさせられましたが。
 
    (禰宜) おっきーさん、こんにちは。
今、鞆の浦はこの埋め立て架橋の話で大きく揺れています。
神社の立場(賛否両方とも氏子)からこの問題に口を挟むのは遠慮したいと思います。
ただ、何が、どうすることによって、この鞆の将来に良しとするのか、今回の話でもどういうメリットやデメリットがあるのか、住民はどうしたいのか、よく考えなくてはならないと思います。
不便より便利、景観が悪くなるよりいい方がいい、住む環境が少しでもよくなればいい、に決まってます。
この町は年々人口が減っています。若者が減り、それにより子どもも減っています。
神社の祭礼も将来維持できるかどうかわかりません。
今回の埋め立て架橋がベストなのかどうか私にもわかりません。
ただ若者が未来にわたって住むことができる町になってほしいと願うばかりです。
神功皇后様が大神様をお祀りになったこの町から人がいなくならないようにと。
 

茅の輪くぐりは

 投稿者:ファイト  投稿日:2007年 5月28日(月)21時22分12秒
返信・引用
   こんばんは、花火大会が過ぎると、茅の輪くぐりの季節ですが祇園社はいつになりますか。また材料の茅はどこから調達されるのですか。 先日、岡山へいく機会があり、偶然立ち寄った神社に茅の輪がありました。  
    (禰宜) ファイトさん、こんにちは。
お返事が遅くなり失礼いたしました<m(__)m>
今年の花火大会も多くの方がいらっしゃったようで・・・
さて茅の輪は水無月の大祓といって基本的には六月三十日に行われます。
当社も同日です。お社によっては七月に行われたり、別な日にされるところもあるようですが。
茅は近くの、とある場所で採取いたします。場所は年によって変りますので特定できません。
当社の茅の輪は直前に設置いたします。
 

能舞台

 投稿者:とーる  投稿日:2007年 4月11日(水)16時04分5秒
返信・引用
  こんにちは。
能舞台について調べており、最近沼名前神社の存在を知りました。知らないことだらけなのですが、一度能舞台を見てみたいと考えています。スケジュールを見てもよくわからなかったので、能舞台を使った催し物について知りたいです。どなたか分かる方がいれば教えてください。
 
    (禰宜) とーるさん、はじめまして、こんばんは。
当社の能舞台は平常切戸(雨戸)で囲っているため、中の様子が見えません。
舞台の様子を見るには催事の折がよいでしょう。
能舞台を使用する予定は、5月13日の午前、7月22日の午前が今のところ決まっています。
いずれも「謡い」が中心になると思います。また両日共奉納行事ですので無料です。
また秋(11月)には有料の舞台が開催される予定です。
 

鞆の浦

 投稿者:長歳が、ない  投稿日:2007年 3月 7日(水)18時23分27秒
返信・引用
  鞆の浦が大好きで、いろいろ知りたいのですが、誰も明確な答えが言えず、お聞きしたいのですが、なぜ江の浦が毎年お手火行事があるのですか?祗園町なら理解できるような、、、祗園町と、おぎょんさんという名前は、関係があるのですか?後地と鞆町鞆の違いは何かあるのですか?  
    (禰宜) こんばんわ。
当沼名前神社の祭典(夏祭・秋祭・お弓)は旧鞆町の七ヶ町が輪番で奉仕しています。
夏祭は先・中・後のグループに分けられ、先は江ノ浦元町・江ノ浦町、中は西町・道越町・関町、後は石井町・鍛治・祗園町・原町です。
お手火は三体の大手火をそれぞれ先・中・後の中で輪番で奉仕されるのですが、先はそもそも沼名前神社が江ノ浦元町に鎮座していた歴史もふまえ同町(江ノ浦元町及び江ノ浦町)が奉仕することになっています。
祗園町は沼名前神社が現在の場所に遷ってからの町名です。
鞆町鞆はそもそもの鞆の町で、後地は名の通り後からの地と御理解戴いてよろしいかと思います。
 

鞆の街

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 2月25日(日)09時24分50秒
返信・引用
   先日、長崎出島のオランダ商館長についていった、ケンペルとシーボルトの日記を見ました。鞆が、オランダと関わりがあったなんて、驚きです。彼らは江戸時代に中継貿易地であった鞆を賑わっていたとしています。
 彼らは、どんな思いでこの街を見たのでしょうか?想像するだけでわくわくする思いです。
 
    (禰宜) おっきーさん、おはようございます。
そうですね、かつての鞆は港を中心に賑やかだったようですね。
船が交通手段の主軸でしたし、潮待ち港といわれるように、瀬戸内の真ん中あたりの港でしたから、いろんな方が鞆を訪れたと思います。
今や時代は車。なかなか当時のような賑やかさは・・・
 

お尋ね

 投稿者:べんてんメール  投稿日:2007年 2月17日(土)14時15分48秒
返信・引用
  はじめまして。
京都生まれであちこちの地域の祇園祭を研究しています。
掲示板、楽しく拝見いたしました。
こちらの祇園さんのお祭りはお清めのお水(あるいは汐井)はお取りになりますか?
それから、新市町戸手の疫隈さんとはどのような関係でしょうか?
ご教示いただけると幸いです。

http://indranet.jp

 
    (禰宜) べんてん様、はじめまして。
この鞆にも弁天様を祀る弁天島というのがあります。
鞆を紹介する写真にもよく使用されています。ですから“べんてんさん”と言うと親しみを感じてしまいます。(^^)
さてお尋ねの「お清めの水」ですが、当社には「祗園の幸水」と呼ばれている山水がありますが、これを祭典に使用することはまったくありません。
またこれ以外でも水を使用することはありません。
ただ「お手火神事」「お弓神事」等で当番町にあたる氏子青年が清めの一環で海水を浴びる(いわば禊)ことはあるようです(当番町によってまちまち)。
それから戸手の素盞鳴神社との関係ですが、当社の祗園さんのそもそものご鎮座に関わる起源等が不明なため、わかりません。現在も特に関係はありません。
悪しからずご了承のほど願います。
ご祭神の大綿津見命に関わる由緒は伝わっておりますが須佐之男命に関わることは殆どありません。
歴史的資料がなく残念なところです。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2007年 1月 8日(月)13時05分34秒
返信・引用
  厄除けの、御祓いは、いつからいつまでに済ますのですか。?  
    (禰宜) こんにちは。

厄除けのお祓いですね。
旧暦とか節分とかで考える地域や人もいらっしゃるでしょうが、最近は年頭に受けられるのが一般的ではないでしょうか。
新しい年を迎え、厄年となるその一年の厄除け・息災を祈るのですから、できれば節分前後までにお祓いを受けられるのがよろしいと思います。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2007年 1月 4日(木)08時46分29秒
返信・引用
  19年度の厄年表の、後厄の年号の間違いですか?私昭和40年生まれでの後厄のはずですが?  
    (禰宜) 元鞆人さん、おめでとうございます。
ありがとうございます。間違いでした。<m(__)m>
早速訂正しておきました。
 

(無題)

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 1月 1日(月)13時49分52秒
返信・引用
   以前の投稿の追加ですが、鞆祇園宮から広峯神社への遷座は薄いですが、逆に広峯神社からもたらされた可能性も否定できません。なぜなら、姫路市からの回答において神功皇后が広峯神社を創建した説があるそうです。彼女は、福井県敦賀市の気比神宮から朝鮮出兵をしています。その中で、現在の兵庫県高砂市から船を出し、鞆の浦に寄港の後三原市経由で九州方面に向かっていたそうです。
 渡守社は神功皇后の創建とされているため、その点では広峯神社→沼名前神社との関わりが考えられます。福山市市街地で福塩線の方に素箋嗚尊神社がありますが、そちらでは備後から素箋嗚尊が播磨広峯神社にもたらされているそうですが、吉備真備公の足跡がはっきりしないため前の通り確証はありません。ただ、その年に彼は遣唐使から帰っているため、その可能性はあるかもしれません。遣唐使の帰朝のルートを調べてみると、唐から日本までの東シナ海上では複数あったようですが、それ以降はやはり鞆や姫路付近を通過して奈良に至っています。彼が帰朝の中途に何かをしたのかもしれません。
 
    (禰宜) おっきーさん、明けましておめでとうございます。
ありがとうございます。
また何か分かりましたら教えて下さい。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年12月31日(日)20時53分36秒
返信・引用
  またまたお聞きします。今年女房の母が他界しました。前にも言いましたが。
初日の出は、拝みに行っても良いですか?
 
    (禰宜) 元鞆人さん、こんばんは。
もう明日の朝の話ですね(笑)
前にも申し上げた通り神事は慎んだほうがよろしいですね。
初日の出も信仰上だと神事とも言えますが、そこまで厳格にしなくてもよろしいかと思いますよ。
 

祇園

 投稿者:おっきー  投稿日:2006年12月24日(日)10時10分43秒
返信・引用
  お久しぶりです。あれから、祇園の由緒を調べましたが、必ずしも沼名前が八坂神社の発祥とは言い切れない感じです。兵庫県姫路市の広峯神社は、八坂神社の発祥と言われますが、広峯神社と鞆祇園宮がどうしても結び付かないためです。
姫路市に問い合わせた所、スサノオが鞆から移った可能性は極めて低いとのこと。広峯・八坂神社サイドは、それを認めたくないようです。
 
    (禰宜) おっきーさん、こんにちは。
祗園様の足跡はなかなか難しいようです。
私も勉強不足でよく存じませんが、広峯さんに鞆から遷られたというような文書があると聞いたことがあります。
確かめてはいませんが・・・
ご分霊のお社とかですと因果関係はわかるのですが、各地で夫々の信仰形態があって祀られたお社はその点が難しいのではと思います。
ですから、ご分霊社でなければ、どこが本社かなどということは、まず言わないでしょう。
もちろん、鞆の祗園様もどのような形でいつ創建されたかも不詳で、どこかから遷されのかということもわかりません。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年12月24日(日)09時24分37秒
返信・引用
  お久しぶりです。ちょっとお聞きします。今年女房の母が他界しました。正月のしめなわは、出来ないのでしょうか?鏡餅を出来ないのでしょうか?  
    (禰宜) 元鞆人さん、こんにちは。
さて、喪中の場合の正月ですね。
結論から申し上げますと、喪中の時は正月の注連飾りや参拝はしません。
元鞆人さんの場合は奥様のお母様ですから尚更ですね。
例えば血縁の遠い親戚の場合などは一定の期間を過ぎれば問題はありません。
喪が明けて(約一年)から改めて参拝されるとよろしいかと存じます。
 

鞆とスサノオ

 投稿者:おっきー  投稿日:2006年11月21日(火)22時14分27秒
返信・引用
   初めまして。今、鞆の社寺を色々調査しているのですが、その中で沼名前神社が全国に祀られているスサノオの命を祀られているということで、大変興味を覚えました。
今まで、神道はあまり身近に感じられなかったのですが、突き詰めて考えるほど面白いものだと思います。さて、沼名前神社は「鞆の祇園さん」と呼ばれているそうですが、広辞苑で引いてみると「祇園」と言う言葉には、スサノオの命とその妃,子供たちまで指す言葉だと言うことが見えてきました。
 「祇園」と言えば、普通の人は京都東山区の八坂神社界隈のことを指すと考えていると思います。しかしながら、その事実から発祥の地であることが埋もれてしまっているように感じられます。もう少し、神道について詳しく調べてみたいと思っております。
 また、あくまでインターネット百科事典の記述と、広辞苑からの発見なのですが、少なくとも沼名前神社の一部であった渡守社が少なくとも920年ごろにはあったものと推測されます。(延喜式神名帳にあったと言うので、延喜式神名帳はそのころの成立とされるため)千葉県在住なので、東京の国立図書館で、何か資料があれば活用したいと思っております。
 
    (禰宜) おっきーさんへ
はじめまして。投稿有難うございます。
神話とか信仰とか深く探るとなかなか興味深いものがありますね。
さて、当社のご由緒については、HPに記載してますが、仲哀天皇の二年(193年)にお祀りされたのが起源とされています。
この最初にお祀りされたのが「渡守社」であります。後に「沼名前神社」と称されるわけですが、その時代は定かではありません。(延喜式神名帳では沼名前神社)
よって渡守社つまり沼名前神社は1800年以上の歴史があることになります。
また祇園さんはそもそも別のお社でしたが、明治九年に大綿津見命(渡守神)を合祀して相殿の神として奉斎されています。
残念ながらこの祗園さんの起源等はよくわかっておりません。
私自身、勉強不足ですので、何か史料とかあればまた教えて下さい。
 

ご無沙汰しています。

 投稿者:本田亭裕人  投稿日:2006年10月 9日(月)17時43分40秒
返信・引用
  大変良いホームページですね。父と一緒に拝見させて頂きました。
一度、両親と、姉の家族と、私の家族全員でお伺いしたいと思っています。
私のホームページも頑張って充実させていきます!

では、朝晩寒くなってきましたので、お身体を大切に。  ~ひろと~
 
    (禰宜) 裕人君ご無沙汰です。
過般は上のお店に突然伺わせて戴き久しぶりに楽しいひと時を過ごさせていただきました。
HPもよく拝見させて戴いてます。なかなか頑張ってられるようで・・
是非こちらにも足を運んでください。お待ちしています。
それから、私個人のアドレスにもメール下さいね。
機会があればそちらのお店にも伺いたいと思います。
投稿有難うございました。
 

(無題)

 投稿者:元鞆人より  投稿日:2006年 9月18日(月)09時56分5秒
返信・引用
  お久ぶりです。またまたお聞きしたい事があります。近所のお寺で天照大神の札と、そこのおてらのふだを貰いました。家の神棚にまとめてお祭すればいいのですか?。そこには、ぬなくま神社のお札を祭ってます。  
    (禰宜) 元鞆人さん、おはようございます。

お寺?で天照大御神のお札ですか?神社でなく?
神社での御神札でしたら、どこの御社の御神札でも当社の御神札と一緒にお祀りしてもかまいませんよ。
ただお寺さんの御札とは一緒にしない方がいいですね。
 

祇園の本家は?

 投稿者:ファイト  投稿日:2006年 9月 4日(月)21時36分29秒
返信・引用
   今度京都を散策します。八坂神社にも寄りますが、当社は明治までは祇園社と称していたとか。その祇園の発祥は、新市町の祇園社と聞いたことがあります。疱瘡神社が摂社であるのも疫病に益がある茅の輪と関連がありそうです。また一説には、甲奴の小童の祇園社は、平安時代に小童の荘園領主だった藤原氏が京都に勧請したともいいます。いずれにしても、祇園は備後が発祥地と思いますが、なぜ京の八坂神社が本家と言われるのか分かりません。  
    (禰宜) ファイトさん、おはようございます。

八坂神社は本家とは言われていないと思います。よく言われるのは本社です。
これは八坂神社から各地に分社・分祀されたお社が多いためでしょう。
また京の都にあって大社であるためではないかと・・・
祗園の発祥となると少し難しくなります。
ファイトさんの仰る備後の三祗園といわれる三社の神は、歴史的にみて備後風土記に記載されている「武塔神」と「素佐之男命」が習合したものと考えられます。
一方、八坂神社は「牛頭天王」と「素佐之男命」が習合したものと考えられます。
神社のご鎮座は備後三社より八坂神社の方が後になります。
当社には祗園宮の歴史的史料がないため、詳細はわかりません。
八幡さんとかお稲荷さんとかのように本社から分祀・分霊されたのが明確であれば分かり易いんですが・・・
いずれにしても祗園さん、素佐之男命のご神徳が広大であったことが偲ばれるのではないでしょうか。
 

沼名前神社・京都八坂神社

 投稿者:佐藤メール  投稿日:2006年 7月29日(土)18時09分37秒
返信・引用
  先日は、神能祭で翁面と千歳面を拝見させて頂き有難うございました。話しは変わりますが、茅の輪くぐりの日に少し遅れて参拝し、全て拝見出来ませんでしたが、由来について少し調べさせて頂きました。福山志料に備後国風土記が記載されていて、この風土記は和銅6年(713年)中央管命により作成された報告公文書であると。沼名前神社は疫隅神社として書かれていて、須佐之男命を祀り、その後姫路の広峰神社として分霊、さらにそこから貞観18年(876年)京都八坂神社に移されたと。鞆の祇園さんは全国の祇園さんの発祥の地になるのですね。沼名前神社の歴史の深さを再認識しました。又、重要文化財・石造物・祭事等が現在も受継がれていることに改めて備後の住民として感謝しております。  

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