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(無題)

 投稿者:おっきー  投稿日:2007年 1月 1日(月)13時49分52秒
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   以前の投稿の追加ですが、鞆祇園宮から広峯神社への遷座は薄いですが、逆に広峯神社からもたらされた可能性も否定できません。なぜなら、姫路市からの回答において神功皇后が広峯神社を創建した説があるそうです。彼女は、福井県敦賀市の気比神宮から朝鮮出兵をしています。その中で、現在の兵庫県高砂市から船を出し、鞆の浦に寄港の後三原市経由で九州方面に向かっていたそうです。
 渡守社は神功皇后の創建とされているため、その点では広峯神社→沼名前神社との関わりが考えられます。福山市市街地で福塩線の方に素箋嗚尊神社がありますが、そちらでは備後から素箋嗚尊が播磨広峯神社にもたらされているそうですが、吉備真備公の足跡がはっきりしないため前の通り確証はありません。ただ、その年に彼は遣唐使から帰っているため、その可能性はあるかもしれません。遣唐使の帰朝のルートを調べてみると、唐から日本までの東シナ海上では複数あったようですが、それ以降はやはり鞆や姫路付近を通過して奈良に至っています。彼が帰朝の中途に何かをしたのかもしれません。
 
    (禰宜) おっきーさん、明けましておめでとうございます。
ありがとうございます。
また何か分かりましたら教えて下さい。
 
 
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